院長プロフィール

松本 一郎 (まつもと いちろう)

趣味:ブラジリアン柔術、筋トレ、スニーカー収集
特技:DIY、家庭菜園、ミシン
好きなモノ:チョコレート、コーヒー、鶏料理、海

現在までのストーリー

外遊びが大好きな幼少期

小さい時から走ったり、木登りしたりするのが大好きでした。 体を動かして遊ぶ中で、同じ年の友達では走っても投げても勝ってしまうようになり、次第に年上の友達にも勝ちたいと思い、懸垂や重いものを持ちあげてトレーニングの真似事までしていました。
この頃は、テレビや漫画に出てくる筋肉のある強いヒーローに憧れて、漫画の中の肉体を凝視して自分の身体とどこが違うのかといった事を考えるような「筋肉」が大好きな子供でした。

母親の腰痛に疑問を感じた学生時代

小中学校時代は、母親は毎日のように腰が痛いからマッサージをして欲しいと僕に頼んできました。言われる通りに揉んでみましたが、何度やっても良くなることはありませんでした。

自分は毎日走って、飛んで、自転車に乗ってこけても腰が痛くならないのに、どうして母親は、ヨガもしているのに腰が痛いのか当時は不思議で仕方ありませんでした。

しばらくして、母親は近所の治療院に通ったおかげで、少しずつ腰の状態は良くなっていきました。

高校ではラグビーに打ち込んだ三年間を過ごさせてもらいましたが、思ったような成績は出せず、大学受験もうまくいかず、上には上がいることを知り、何となくやりたいこともないままご縁のあったサプリメントの会社に就職しました。

その会社で整骨院や鍼灸院に営業をすることになり、昔に母親が治療院で腰が良くなったことを思い出しました。個人的な興味から治療についてのお話しも伺いながら営業職を楽しくしながら働いていました。
そんな時に、僕の人と接する姿を評価して下さった整骨院の先生から「ウチの治療院で一緒に働いてみないか?」と熱心に何度もお声を掛けていただき、身体への興味が再燃し始めました。
何度も考えた結果、会社を辞めて「治療家」という道を歩いてみようと決めました。

質より量で教えて頂いた修業時代

お誘いを受けて働きだした治療院は、一日に200人以上が来院されるとても忙しい鍼灸整骨院でした。

昼休みもスタッフ全員でお弁当を食べ、すぐに練習。

診療後も治療の練習や小テストの時間があり、部活の合宿のような雰囲気の中、徹底的に院長先生からマッサージや知識を教えてもらいました。

とにかく体育会系な院長は、量で憶えなさいというスタイルで、終電がなくなっても練習をして、院で泊まった日もありました。憶えるまでの3ケ月くらいは、指が痛くて食事やトイレも大変で、本当にしんどかったです…。
それでも、なんとか院長先生の許可がもらえたので、現場に立たせてもらえることになりました。 今でも初めての患者さんに10分程度にもかかわらず、汗だくになって治療させてもらった事を憶えています。

少しずつ患者さんから「ありがとう。ラクになったよ」と言ってもらえる回数も増えて、その場ですぐに直接感謝してもらえるこの仕事は、以前の営業職にはなかった感覚で魅力を感じるようになっていました。

しかしながら、そう言って帰ってくださったのに、また翌日もその次の日も院に来られては、同じ場所が痛いと訴えます。そして同じ方法、順番で身体を揉んでの繰り返し…。
毎日毎日、顔ぶれが変わらない患者さんと、昔の母親の腰痛が治せなかった日々が重なり「これはさすがに治療のやり方が違うのではないか?」と感じ始めていました。

何とか糸口を見つけようともがいた日々

しかしながら、入ったばかりの新人の僕は、当然ながら治療方針に口をはさむことは許されません。
毎日、同じ顔触れの患者さんを見ながら同じ事しかできない中で、葛藤を抱えながらも、何もできない自分がふがいないと感じながら治療をさせてもらっていました。

目の前の患者さんが少しでも良くなるようなヒントを探して、先輩の治療を見て盗んだり、空き時間に参考書を読んだりした日々を過ごしていました。

患者さんに寄り添うための知識不足を知る

毎日、なんとか少しでも良くなって欲しいと思いながら治療をしていると、患者さんから「病院では○○と言われた」というお話が多いことに気が付きました。
しかし、整骨院で教えてもらったマッサージしか知らない自分では、身体の状態も分からず返答に困ってしまいました。

やはり西洋医学(病院)と東洋医学(鍼灸整骨院)の両方を知った上で、最適な方法を提案できなければ、患者さんの悩みに本当に寄り添うことができないなぁと、この時に強く感じました。

これを機にお世話になった鍼灸整骨院を卒業し、新たな学びを求めて整形外科にステージを移すことにしました。

整形外科と専門学校での猛勉強

次に働くなら、経験豊富な医師のもとで医術をしっかりと学びたいと思い調べていくと、去年まで大阪の有名病院で関節の手術を数多くしていたような名医が、自宅から近い場所に新規開院されている事を知りました。
またラッキーなことに生まれ育った地元の方の健康を守りたいという想いもかなえられる形となり、地元の整形外科で働かせてもらえることになりました。
しかし、いざ勤めると現場では本格的な医学用語だけでなく、さまざまな知識が必要とされました。 毎回ドクターから渡されるカルテはドイツ語も書かれていますし、血液の数値や病気などの基礎的な知識が最低限あることが現場でのデフォルトでした。
またこの整形外科時代は、早朝に仕分けのバイトに行ってから整形外科に移動して、お昼に抜けて専門学校に通い、整形外科の午後の診察に戻って、帰宅して勉強という毎日でした。 病院でも学校でも言葉や数字を憶えるだけで本当に必死でしたが、なんとか勉強にもついていくことが出来ました。 人生で一番勉強した時期だと思います。
学校の勉強も頑張りながら、整形外科でのべ5年半の期間をかけて、たくさんのことを学ばせてもらいました。病気、手術、レントゲン、MRI、お薬、注射など整骨院では学べなかった部分をたくさん知ることが出来ました。

治療難民化してしまった患者さんのために開業

勤めていた整形外科の先生には、医学以外の事もいろんなことまで教えてもらいました。今でもその知識が治療の礎になっているものがたくさんあります。
もう数年、医療人としての「人となり」やさらに詳しい医療の事を勉強させてもらうつもりでしたが、院長先生のご家庭の都合により転院されることになり、勤めていた整形外科が閉院されることになりました。急に決まった閉院の影響で、来てくださっていた患者さんが、治療難民化してしまうのを目の当たりにしました。
この時までは、いつかは自分の治療院を持つんだと考えていましたが、今まで頼ってくださった地元の患者さんのピンチをなんとか救わなくてはいけないと感じ、予定を早めて開業することにしました。
開院しようと準備した当時は、東日本大震災の影響もあって、建築資材の不足といった問題もありましたが、いいご縁にも恵まれて、無事に2011年5月14日に地元の萩の台駅前に開院することが出来ました。

地域の子供達に元気がないことに気が付く

整形外科の閉院からすぐに開院できたこともあり、多くの患者さんが当院に来てくださいました。患者さんたちも大変に喜んでくださり、忙しく毎日を過ごしていました。
そんなある日、院から見える地域の小学生の歩く姿がふと目に留まりました。 どこか生気がなく、姿勢も悪く元気がなく、歩き方もトボトボとしていました。
「自分が小学生の頃は、友達と大声で笑って走って飛びはねて帰ってきたのに…一体何があったのか?」と不思議に感じました。
ちょうどそのくらいの頃から、小中学生の来院も増えていました。 腰が痛い、肩こりと頭痛で勉強に集中できないなど、僕の時代では考えられなかったご相談が増えているのを肌で感じました。
あまりにも気になったので、学校の先生方に生徒さんの身体に関するアンケートを行いました。 すると返信いただいた中には「登下校時に転倒してケガをする生徒が増えている」「授業中座っていられない」といったご意見が数多くあり、本当に驚きました。

しゃがむことができない子供の多さに気付く

アンケート結果から自分で感じていたよりも事態は深刻で看過できないと強く感じたので、独自に勉強や調査を進めていきました。
まずは身体を支える「体幹」を勉強することで、さまざまな原因が分かってきました。 さらに発育学や発達学も知ることで、今のこどもたちの多くは「しゃがみ方」に重大な問題があることが分かってきました。
このような状態を放置すると、成長時の姿勢に問題を及ぼすだけではなく、大人になってからも肩こりや腰痛のリスクが高くなることまで判明しました。

教育機関と連携し体幹と姿勢に対する取り組みを行う

自分にも同じ年ぐらいのこどもがいたこともあり、しゃがむことが出来ないこどもを放っておけないと考え、地域の教育委員会や学校と連携して改善策に取り組ませてもらいました。
体幹や発育発達学、武道の動きに基づいて「しゃがみ方から姿勢と体幹を改善する運動」を考案し、映像を提供しました。毎朝の朝礼で映像を見ながら取り組んでいただいたり、体育の時間にも取り入れてもらうこととなりました。

地域の小学校の姿勢改善に寄与

この取り組みの結果、地域の小学生の姿勢改善と体幹強化に寄与し、翌年のスポーツテストでは4種目で向上が見られました。今でも小学校ではこの運動は継続してくださっており、転倒する生徒さんや座っていられない生徒さんは減ったそうです。
また院の窓からは、笑って大きな声で追っかけっこをしている姿も見られるようになりました。少しずつではありますが、地元のこどもが元気になっていることを感じています。

離れていく患者さんを目の当たりにする

この頃は地元の小学生への社会貢献もでき、患者さんにも慕われながら自院で治療ができていると感じており、本当に幸せな毎日でした。
しかし、ふとカルテを整理すると、頼ってくださっていた患者さんのお顔を見る回数が減っている事に気が付きました。

患者さんの心と体の繋がりを勉強するようになった

「おかしいな、身体は良くなっているのに、なぜだろう?」と悩みました。
もしかすると、患者さんの身体をきちんと治せていなかったのではないか?と考え、治療をもう一度勉強しなおすことにしました。
すると、人は心と身体の繋がりが大切だということを再認識することが出来ました。
実は今までの治療では、身体の痛い所や、動かしにくい所といった「部品」だけを診ていて、患者さんの心の部分を全く診ていなかったことに気付かされました。
これを機に心と身体の繋がりについても深く勉強するようになり、患者さんとの接し方が自然に変わっていきました。
今では患者さんの心と身体のバランスが整うように応対や接遇を改善したことで、今までよりももっと喜んでもらえるようになりました。

今後も鍛錬を積み重ねる

長い文章で、ここまでお読みいただいた方も少ないかと思いますので、そろそろ〆ていきます。
早いもので生まれ育った地元で「はぎの台整骨院」を開院して11年以上が経ちました。

地元の患者さんのやりたいことをお手伝いできて、目の前で喜んでいただけるこのお仕事は今も変わらず大好きです。
これからもさまざまな分野の勉強を続けながら、患者さんに寄り添うことができるように研鑽を続けていこうと考えています。

これからもひとりでも多くの方が「動けるカラダ」でやりたいことを思いっきりできるように全力でサポートさせていただきます。

(柔道整復師 松本一郎監修)

「ひとにやさしく」

最後に僕を医療人としてやさしく導いてくださった恩人の言葉を紹介させてください。

この先生の所で勤めていた4年あまりの間、指示をいただくたびに「やさしく」という言葉を毎回のように言われて育ててもらいました。

普段は寡黙な先生が、僕とふたりになった時にポロっとその真意を話してくださったことを未だに鮮明に憶えています。

医療の根本って、ひとにやさしくする事やと思ってるの。

病院に来られている方は、他人には考えもできないような不安やストレスを持ってはるんよ。

(それを解決するために)さまざまな方法があるけれど、まずは自分が幸せであって、余裕がないとさ、やさしく施しなんてできるはずがないのよ。私は医療人って何よりやさしさが大切だと思うの。

病院では患者さんと接したら医師とか受付けとか看護師とか関係ないから、普段からアンテナを立てて知識を入れておくの。と同時に自分の身体を鍛えて、栄養を蓄えてやさしくできるだけの準備をしておくの。そういう準備ができる人だけが、人にやさしくできるのよ。

未だにこの言葉があったから勉強を続けられていますし、何かあるごとに「やさしさ」の大切さを痛感しています。

体が痛いことで起こる不機嫌や衝突も、動けるようになれば余裕ができて笑顔で対応できるようになる。こんなことも「やさしさ」に繋がっていくんだと考えています。

また、それを言うだけでなく、ご自分が一番実践されていた先生の強く美しい姿は、今でも最高のお手本であり、目標でありつづけています。

当院のコンセプトである「動けるカラダ」でひとつでも多くの「やさしさ」が増えることを願っています。

はぎの台整骨院 院長 柔道整復師

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